e 届くもの。
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届くもの。


「何、してるの?」

いつも部屋のソファに家主より堂々と座っている男が、
どうしたことか、今夜はベランダで空を見上げていた。

天気は良くても、まだ2月だ。夜風は体が強張るほど冷たい。
いくら丈夫だからって、そんなヒラヒラのシャツ1枚じゃあ、絶対風邪をひくぞ。
鍋が出来たから、冷めないうちに食べようよ?

けれど、彼は顎先を持ち上げて、僕を外へと誘う。

「見たまえ、成歩堂」

空にはくっきりと闇にかかる大きな真円。…満月だ。
街明かりより一際高く浮かぶそれは、柔らかな光を降らしていた。

そういえば。
コイツは子供のころから、空をよく眺めて、やれ雲が綺麗だの、夕焼けが美しいだの、
およそ子供らしからぬセリフを口にしていたっけ。

「冬の月はことさら美しい。乾いた空気が、輪郭をより明確に縁取る。
  …夏とはまた違う輝きだ」
「まあ、キレイだよな。丸くて、黄色くて」
「うム」
「昔、みんなで食べたホットケーキみたいだ」
「…………私は月の話をしているのだが」
「うん。月の話だろ?」

御剣は小さく笑ったようだった。

黄色がかった明かりのせいだろうか。
もともと色の薄い瞳は、もの言わぬ、静かな光を宿していた。

手を伸ばしても、届きもしない月に
彼が何を見ているか、僕にはわからない。


ただ、ひとつわかるのは

僕や矢張と共有した…あの賑やかな過去ではないということだ。


車の排気音、街の喧騒、時折混じる、葉のざわめき。
長い前髪を、ただ冷たい風の手だけがゆらしていく。

ぐしゅん、とくしゃみが飛び出ると、呆れたように肩を竦めた。

「中へ入りたまえ、成歩堂。風邪でもひかれては困る」
「いいよ。お前がここにいるなら、僕もここにいる」
「バカなことを。キミは黙って空を見上げるようなオトコではないだろう」
「傍にいるよ」

怪訝な顔をする男に、笑ってみせた。

「僕には、届くから」

そして。
冷たくなった彼の手を、強く、握り締めた。



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