e 指先の恋人

指先の恋人



バスの車窓から流れゆく風景を見ながら、

ぼくは昨日と同じはずの日常に違和感を感じていた。

時折、振動に合わせるように、昨晩のことを反芻する。

早めに夕食をとり、風呂に入り、テレビを見てベッドに入った。

寝る前に、少し読みかけの本を読んだ。

その記憶は確かにここにあるのに、感情だけが今は空の彼方を飛んでいる

彼のそばに置いてきてしまったようだった。


ぼくはぼんやりと思いにふける。

そして、数時間前は、彼に触れていたはずの指先を親指の腹で擦る。

(御剣…)

窓の外に、いるはずもない男の姿を捜す。


今、君に会いたい。


ぼくの気持ちは、たぶんメールのように瞬時に国境を飛び越えるものでもなく、

手紙のように手に触れられるものではないだろう。

途中で見失い、混乱し、君を傷つけてしまうこともあるだろう。


…それでも。

放たれた気持ちは、キミの周りをぐるぐると尾を引くように、回り続けていく。

そしていつか、君の心に着信のように光を落とせばいい。

優しいあかりになって君を照らせばいい。

1日でも…1秒でも長く。

ぼくは窓の外を見た。

横断歩道に流れ出す人の群れ。足早に帰宅を急ぐ会社員。学生たちの楽しげな笑い声。

いつもと同じ日常。彼がいないだけの日常。

明日も明後日も、それは続いていく。

祈るようにそっと…ぼくは、指先の恋人に口づけを捧げた。



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